原井和也とは?

和歌山県出身
1968年・6月17日生
右投右打
A型
173cm70kg
箕島高校〜松下電器〜西武(96年D)〜ロッテ(03-05)〜07年より西武守備コーチ補佐
背番号 30(96年〜00年) 6(01年〜02年) 53(03年〜05年) 87(07〜)
初出場 96.9.6近鉄9番二塁手(藤井寺)
初安打 97.4.13ロッテ3回デニス(マリン)
初ホームラン 97.6.25ダイエー8回吉武(仙台宮城)
初盗塁 97.4.13ロッテ(マリン)
 社会人時代の92年にに1試合3本塁打の記録を樹立。この記録はあの落合・福留・小笠原・松中ですら達成されていない偉大な記録だ。
 プロ入りは史上2番目の高齢入団。2年目には93試合に出場、通産2本塁打もこの年に放ち、日本シリーズでも石井一久から安打を放つ等活躍。ちなみにめざましテレビでの取材も受け、家族に見守られながら練習をする原井さんの姿が全国に流れる。96〜97年は外野も守ったがこの年以降は内野手で活躍。隔年傾向で出場機会・成績共に増減する。主に西武時代は左投手先発時のスタメン、代打として活躍。代打バント等の出番も多かった。また、盗塁数だけでは見えない走塁の上手さを備え、あの伊原コーチの制止を振り切って生還した伝説を持つ。ちなみに西武時代は96年と02年以外は必ず3塁打を1本打っていたのが走塁が上手いことを裏付けているのかもしれない。

 02年に西武を自由契約、マリーンズにテスト入団。この年には現役史上2番目の82試合に出場。主に腰痛を抱える堀の守備固めやピンチバンターで活躍した。また、マリーンズの若手の見本として影でも活躍。しかし04年に悲劇が訪れる。ヤフーBBでの試合で打球を顔面に受ける。この年はやや出遅れるもマリンで2塁打を放ち、これからという時の故障。これが痛かったのか5試合のみでシーズンを終えた。現役最終年の05年、初めて1度も1軍に上がらずに浦和で引退。
 翌年はインターネットテレビ「Gyao]でマリーンズ戦の解説者デビュー。主役ではなく、黒子的な立場の選手から見たコメントは非常に興味深かった。また、若手に慕われていたからか、面白いエピソードも多く語ってくれたように思う。
 06年オフに西武から内野守備走塁コーチ補佐に招聘。

・球歴
箕島高校-松下電器-西武ライオンズ (1996年-2002年)-千葉ロッテマリーンズ(2003年-2005年)-西武ライオンズコーチ(2007年)-NOMOベースボールクラブコーチ(2010年〜2011年)−和歌山箕島球友会ヘッドコーチ(2012年〜)

管理人的、各シーズンの記録とコメント
年度 所属球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 打率
1996 西武ライオンズ 4 6 0 0 0 0 .000
 この年の原井さんは主に2軍で70試合に出場。密かに2軍の開幕戦では1番セカンドで出場していたらしい。シーズン終盤の藤井寺で初出場したらしいが、管理人はちょこっとプロ野球観戦から離れており、まだその存在を知らず…。
1997 西武ライオンズ 93 127 34 2 10 11 .268
 原井様ブレイク?この年の2号ホームラン(ハム戦)を録画中継で目の当たりにし、原井ファンになるきっかけに。ちなみにこのホームランはバックスクリーン横に放り込む特大弾だった。本職は内野のセカンド・ショートだが、外野も守る器用なところを発揮。また、めざましテレビ「今日のとことん」というコーナーに取り上げられる。
 その後日本シリーズでは第1戦からスタメン出場!ホージーの打球を蹴飛ばすハプニングがあったが、石井一久から代打安打を放つ等、ますます原井という選手が気になる存在になる。この年の西武リーグ優勝&日本シリーズは劇的なものが多く、再び野球を見始める。
1998 西武ライオンズ 39 29 6 0 2 2 .207
 原井さん実質2年目のジンクスに陥る?ファンブックによると、ジンマシンと肩の故障によるところが大きかった模様。中学生+茨城の地ではテレビと文化放送が情報源。スポーツ紙はあまり見なかったので1軍登録に関する情報が入りにくく、1軍にいるのか2軍にいるのかすらわからなかった…。とりあえず久しぶりに「レツゴーライオンズ」を見たところ、原井さん特集を発見!「My Favorite music」というコーナーで好きな歌を「ブラックビスケッツのタイミングです」と言っていた事が忘れられない。録画したのに消してしまい超後悔。 
1999 西武ライオンズ 78 92 20 0 4 5 .217
 78試合に出場し復活の予感。主に左投手先発時のスタメンと、代走・守備固め等で活躍。昨年に肩を痛めたからか、この頃には外野は殆ど守らなくなり、内野守備に専念した模様。
 ちなみにこの年、西武球場で生原井(笑)を初観戦(前の年も観に行ったが、その時は見れなかった)。代打で登場し、三遊間へヒット性の当たりを放つも、井口の横っ飛びに阻まれる。その後ジャンピングスローする原井さんに感動。気づいたら完全に原井さんの大ファンになっていた。
2000 西武ライオンズ 21 28 5 0 1 1 .179
 この年はわずか21試合のみの出場となってしまったが、少ない安打の中には3塁打もある等、走塁の巧さは健在。ちなみにその3塁打はニュースステーションを介して全国に放映され、管理人を喜ばせた。
ちなみにこの年にひたちなかにロッテが来たのだが、あの応援とメンバーの渋さにかなり興味を持った(笑)
2001 西武ライオンズ 62 102 25 0 2 3 .245
 5月に打率.345を記録する等順調な滑り出し。近鉄戦でダブルスチールでホームに突入、成功した光景は未だに覚えている。また、ある日の神戸の試合ではボテボテのサードゴロで1塁にヘッドスライディング。ガッツをむき出しにし、勝利への執念を感じさせた。しかし原井さんがヘッドスライディングをしたのは後にも先にもこの1度きりだったように記憶している。
この年は高校卒業を控え、東京の専門学校見学の後に西武球場へ足を運ぶ。原井さんはスタメンで出場し、センター前安打とファインプレーで勝利に貢献した事を目に焼き付け、実家の水戸に帰宅。
 しかしシーズン終盤で痛恨の失策&ホームゲッツー(ホークス戦)を犯した試合を文化放送で聞き、机に沈み込む。とはいえ文化放送やNACK5で原井さん応援メールが読まれる快挙?を達成したのもこの年だった。
2002 西武ライオンズ 25 11 2 0 0 0 .182
 上京し、原井さん詣でを出来る?と意気揚々とするも、バイトに明け暮れた上に自動車免許取得の為になかなか観に行けず。しかし八王子市民球場で念願のサインを頂き、本当に足が震える。
 さらに満を来たして訪れたマリンスタジアム、ロッテの応援に驚くも、ピンチバンターとして現れた原井さんがきっちり1球でバントを決めたことに感動。ちなみにこの試合は喜多がサヨナラ打を打ったメモリアル的な試合であった。未だにNHKの録画を大切に保存してある。解説の小早川氏が原井さんのバントを絶賛。
 しかしオフに西武を解雇されてしまう…。しかし気になり始めていたロッテにテスト入団するとは思いもしなかったので、安心と同時に嬉しかった。
2003 千葉ロッテマリーンズ 82 44 11 0 5 2 .250
 この年原井さんは腰痛持ちの堀の守備固めや、代走が殆ど。何度か訪れたスタメンのチャンスでエンドランを決めるなどいぶし銀ぶりを如何無く発揮。
 この頃の管理人は完全にロッテファンとなる。東京ドームのバイトの恩恵として、ハム戦のチケットを貰えるので、これを駆使してロッテ戦を観戦しまくる。マリンや西武ドームでも原井さんを拝めて感無量。「はらいさま〜!」と叫んでゲーフラを掲げる人や、「守備の守護神原井和也」といったボードを掲げる人々に感動。
2004 千葉ロッテマリーンズ 8 2 1 0 0 0 .500
 オープン戦では殆どの試合に出場。この年も活躍が期待されたが浜名の加入により出番が減少。しかし内野陣に怪我人が続出し、すぐさま1軍に復帰。ちなみにこの直前に浦和で入来からホームランを放つ。復帰した試合は、会社の研修先の住居(所沢)から直行!守備固めしか見れなかったが一安心。
 しかし神戸の試合で悲劇が…。顔面に打球を受け、本人は「出れる」と志願したがそのままシーズン終了。管理人としても、原井さんとしても相当歯痒い年だったに違いない。

 インボイス第2球場が近かったので、浦和マリーンズを観に行くと、サードで原井さんスタメン出場。目の前で無難に守備をこなす原井さんを見て感動。
2005 千葉ロッテマリーンズ 1軍出場無し
 オープン戦では何度か姿を見かけなのだが、1軍では未出場。何度も浦和に足を運ぶが姿を見かけることが出来ず。
 そしで10月に突然訪れた引退試合。浦和での引退試合では石井貴から見事なセンター前を放ち、西武・ロッテの選手に胴上げされ有終の美を飾った。引退は覚悟していたが、あれを観に行けなかった事が最大の後悔である。

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